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溶け行くメディアの中で : 娯楽するライト感

2009 3月 21st
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先週から忙しく、ようやく復帰出来た感じです。何をもって作品か、という所でもやもやしたので、自分の乗っかっている環境を作品という切り口でリフレーミング。同じ場所に長くいると自分の位置感覚がぼやける時があって、時々こんな事考えるのも面白いです。

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作品、商品、コンテンツ、サービスとか。

まず何を作ってるんだろう。最も消費者視点で評価されるものは商品やサービスって呼ばれる。アートは表現する側の視点が重要視される傾向が、作品は双方の中間にある。媒体の違いを意識するのも大事なんだけれど、受け手視点だと体験”したい”か”したくない”かでまとまっちゃうので、まずは全部同じ事って考えた方が分かり易い。

   

誰に向けるのか

対象はとりあえず世界人口でいこう。そこから削っていく。世界中の皆様にーって。皆様って受け手ともユーザーとも観客とも色々言うけど、具体的にはどこかにいる”A”さんの集合で。何かを作るって事はこのAさんとは違う価値観を持った67億の様々な受け手(ユーザー)に対してアウトプットする事。ほとんどの企画は開始時点で言語だったりメディアの関係で”狭く強く”を志向するのでいきなり95%くらい対象をカットして、代償として受け手の意識に深く潜ろうとする=内輪の始まり。

より多くの人を相手にすると超普遍的、前衛・抽象的な表現に。誰にでも分かるって言語や習慣に依存しない>純粋な色や形、音による表現が主体になるから、読み取りに相応の敷居の高さがでてくる。現実的じゃない、とは言わないけど、敷居は高い。

  

4/1のπを奪い合う

アウトプットした作品が運良くAさんの目に触れると、「作品に触れるか否か」Aさん価値観に沿って拾捨選択が行われる。かかる時間、お金だったり。そこでGOサインが出ると、規格に従って時間なりお金なりってコストが投入される。

まず最優先は”生活”でカテゴリされるような事。生活というか、生命。食費も、睡眠の為の時間も外せない。死んじゃうし。次に来るのは仕事だったり、重要な他人との関係。外すと”社会的に”ダメージが大きい、アイデンティティにも関わるから優先度(高)になる。

それは最初から余程猛烈な好き!というバイアスがかかってない限り、「生活」と「他人との関係」による優先順位に僕の関わってるエンターテイメントは入り込み難いということ。求められていない訳じゃなくて、現状それだけでは生きて行けないという。だからというか、色々今さらだけれど、やっぱりエンターテイメント産業の規模は”生きていく余裕”の大きさに比例してる。(この辺の価値観が特殊な、究極的には生死の境目であらゆる選択を切り捨ててなお「あにめry」とか言える人をこそがその道のオタクと思う。)

誤差はあれどかなりの人の一日の8時間労働、7時間睡眠、プラス3時間(この時点18時間)で一通りの生活をこなした上での残り少ない6時間の”余裕”の部分をエンターテイメントがシノギを削って奪い合ってる図が朧げに見える。

少なくとも真っ当な個人の生を維持するのに必要な営みの外に娯楽はある。
この内側に入れたら、、とは思うけどそれはまた別の話。

じゃあ、残ったパイ、この少ない余剰分の中で受け取る価値のある作品/コンテンツって何だろうな。

  

娯楽するライト感〜Reccomend by Google〜

例えばAさん専用のビデオショップ ”Reccomend by Google” が近所に出来て、店内にはすぐに取り出せるAさんに最適化された1000の作品があるとする。作り手はその中の一本をどうしても手に取って欲しい。無限でない程度に広大で、十分以上の選択肢がそこにある。Aさんは何となく吟味し、その中で目を惹き、手に取り、安くない代価を払おうって一本に代価を払う。きっと欲しいのは、偶然目に触れた瞬間を逃さない、意識の発生する瞬間を起こせるスイッチ。
で、そのスイッチって”そこに価値はあるのか?”という問いに対する答えなのではと。

面白いもの、わくわくする未知に対しては誰にでも根源的な需要がある。一方で鑑賞コストとも言える”面倒さ”や”価格”もある。しかも簡単に手に入る面白いものが増えて、ちょっと増え過ぎに感じるくらいになって、実際、「そこまでしなくても」隙間をある意味十分に楽しめる環境が整いつつある昨今(遠い昔には一冊のエロ本に執念を燃やす少年達が実在したらしいとかそういう話)。それは素晴らしさでもあり、惰性を促進する厄介さでもあり。

SNSやミニブログ、動画共有サイトの様なウェブサービスの何がいいって、やっぱり”無料”であることと、”少しの指の動き(1click)で色んなネタに触れる事が出来る事”、ほぼノーコストで笑ったり、ちょっと感動したり、それをネタにコミュニケーションが出来るんだから、そりゃいいよって話だと思ってます。しかも場所や時間の制約はほぼない。適切に扱えば生活や友人関係の役にも立つ。この役に立つってのはとても重要で、そのまま価値につながっていく。
でも同時に、「わざわざ○○しないと××できない」様なものぐさの敵のようなコンテンツにももの凄いパワーがあって、一つは場所や時間の制約がある店舗型コンテンツ(作品)。希薄な体験しか得られないのは情報だけがぐるぐる回ってるウェブコンテンツの弱点であるとも思う。その真逆で。だから、むしろ情報が拡散していくほどリアルな体験は輝き始めるのかも知れないのか、とか、そういうのを前エントリのイベントなんかでわーーと感じて。そりゃもうぐしぐしに泣いちゃってたりする訳です。作品の精度という前提はあれど、時間と絆を積み上げて、直接足を運んでこそ完成する高揚感はなんて強力なんだと。つまみ食いできる娯楽では決してないけれど、付き合う価値がある、と感じた人がそこにいた。(当日の入りは確か400人くらいだったと思うんだけど、これが40000人なら今までとは別の景色が見えてくるかも知れないとかも)

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映像コンテンツはどうかな。ネットより重い。鑑賞にはプレイヤーとモニタが必要。金がかかりますね。スクリーンというバーチャルが必ず間に入る。つまり根本的に重い。体験はなくて、その代わり、物理の制約を越えた疑似体験を得られるいう意味でネットとリアルの中間ともいえそうです。またある種の万能感はネットに近い。コピー可能という点で一度に大量の観客に疑似体験をバラまけるというのも改めて面白い特徴かも知れないです。

1千万回以上再生されたオバマ大統領の就任演説。
遠方の出来事を疑似体験、再体験できる。

先の”400”と、数字で比較すると分かり易い例はアニメ映画、エヴァ「序」の売り上げ40万本(推定)。ゲームだともっといってるのも。ともかく、そのくらいの数の人が価値を見いだし、相応のコストを払って、相応の体験をしてる。ただ、あくまで比較して、の話ですけど、リアルのそれよりは作品と観客は遠く離れてる。それが感動の強度にも影響してる。作品の質とかじゃなく、媒体の差という次元で。アニメだと更に絵、という表現空間の決定的な差もあって、更に遠い。

反面、映像、物語、音楽の組み合わせの強力さは思う限り類を見ない。しかも大量生産できる。戦争でプロパガンダに使われたり、今なおたくさんの人にとって、映画が生き方を変える契機になったりしているのはそういうパワーによるもの。

 

感動をストリーミングする

体験を持つリアルは、一方で物理の制約を受けてしまう。映画に対する演劇にも似た傾向があるけど、行かなきゃ見れない。意図された楽しみが得られない。空間が許す限りの人数しか一度に体験を享受出来ない。
その補完を媒体としてのインターネットは期待されてる。もう少し先の話だけど、リアルのパワーがあり、場所の制約があるなら、ネットの何かしらのストリームに流し込む事で、今よりも距離や時間にとらわれずに作品を感じて貰う事が出来る様になると思う。

それは、僕なら既にMacworldだったり、情報は随分圧縮されてるけど、スペースシャトルの打ち上げをネット経由で現地の人と見守るどきどき感だったりとなって、ライブを共有する走りになってるから体験できてる。ジャニーズでもPufumeのライブでも友人とのチャットいいんだけど、場の盛り上がり、アタリ感をネット経由でもっともっと高精度に共有できたらそりゃ凄いんだろう。

同時に、Wall-Eの様な魅力ある作品がスクリーン(フィクション)を超えてリアルの場に降りたつ時、今よりもたくさんの人の人生や価値観を揺さぶるパワーを持つ事も可能かも知れない。スクリーン上のキャラクターから、一人一人の友人に変わる事だってあり得る。(より身近である程物語のパンチ力は高い)そういう出会いには間違いなく価値が在る。

必要とされるものには価値があるし、作り手としても、価値があるものはやがて必要とされる、という矜持をもつのは上向きに機能してくれるんじゃないかと思う。データがリアルに降り立つ可能性については、ネットが携帯やパソコンの付属品である限りはまだ薄い関係性でしかないのだろうけど、日常に侵攻するテクノロジーの加速度を見るにつけ、成熟を待つだけの時間はあると思う。日常にデータやネットがとけ込む未来については、芽は十分すぎるほど出ている訳だし。

拡張現実の世界

  

   

溶け出すメディア

環境が変化してる。面白いものが増えて来てコピーできる娯楽媒体は選ばれる為の敷居が一気に上がった。プロとアマチュアの境界は名刺上の肩書きだけになりつつあって、ツール面ではほぼ横並びに、技術面でも個人差の世界に突入してると考えた方がいい。一本の映画や音楽はより手軽に、より安価に手に入る様になって、ネタ動画はジャンクフードの様に手軽に味わえる。TVや新聞に張り付く人はこれから減れども増える事はない。活字や音波や光は全て”byte”で扱い、ネット経由で無限に増殖できる状態になってしまった。しかも変化は加速してる。

毎日テクノロジーはいろんなものを溶かしてまぜこぜにしていってる。このごちゃまぜ感はやがてもっと進んで、目にしている体験が映画の一部なのか音楽の一遍なのか、それとも友人との会話の中であるのか、その境目に意味がなくなっている日だっていつか訪れるかも知れない。

Microsoft’s Future Vision Series: Microsoft’s 2019 Future Vision Montage

一方で価値あるもの、必要とされるものがより発見し易くなっているのも事実。また不思議な事に求められているものは決して消えない。需要と供給の関係はネット上でも健在。そこにはバランスがある。
繰り返すけど価値あるモノは必要とされる。だからより身近で、より強力で、より広くを狙い続ける事。

  

  
ひとまずここまで。何の役にも立たないけど、フラッシュ的に感じる諸々を一度整理したくなったのでかきかきー。まだよくわからない、でも少しだけクリアになったと思う。怒濤の作業ラッシュの最中に26を迎えて、そのまま一周ほど走ってしまったので、改めて仕切りを的な意味をば。

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